2011年8月16日火曜日

0815

今日は常福寺の盂蘭盆会の法要。
簡単に言えば、お盆の先祖供養の法要。

蒸し暑い中、お経を読んだり、
準備したりするの大変だね、ってよく言ってくださる方が多いけど、
ただ黙って座って手を合わせてる、参詣の方々も十分大変だと思った。
参詣の方々に出す食事の準備をしたり、色々な申し込みを受ける裏方の方々も。
外から来るお坊さんに出す食事や飲み物を運んでくださる方々も。みんな。
ましてや年配の方ともなると更に。
ほんと頭が上がりません。ありがとうございました。


8月15日は終戦記念日。

たまたま、一枚のプリントに目がいきました。
これを書いた方は、大本山総持寺の元禅師(住職)の板橋興宗老師。
現在は福井県の御誕生寺の住職をなさっています。実は僕も永平寺にいた頃、
一度だけ行った事もあります。

このプリントは、毎月発行されている『御誕生寺』という新聞です。
終戦記念日について書かれた文ではないとは思いますが、
読んでいて、何かすごくズバッと来たので載せさせていただきます。



『豊かさについて』


私たちは、誰もが経済的にも環境的にも恵まれた、豊かな生活を願っている。
日本も敗戦から立ち上り豊かな文明社会になった。

ところが、精神異常者や自殺者は増える一方である。
戦時中は国中が困苦欠乏に耐える毎日であった。しかし、ノイローゼとかストレスという言葉すらなかった。犯罪も現代よりはるかに少ない。

私は千年以上も前の奈良時代の『お佛像』に深いあこがれを抱いている。

その当時の人々の生活ぶりは現代と比較にならないほど低い。
自動車も自転車もない、電気も水道もない。食べものも、田畑から穫れたものを調理するだけであっただろう。

それなのに、あれだけの精神性の深い芸術品を作ったのである。むしろ『貧に耐えた』生活であったからこそ、本ものの光り輝く作品を創作できたのだろう。

『豊かさ』は、むしろ人間の堕落を増長させるものではあるまいか。
『清貧』に親しむ生活から、精神性の深い完成が生まれるのであろう。
そうしか思えない。

(御誕生寺 第48号 『豊かさについて』より引用)


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毎年僕は、終戦記念日が来ると、
戦時中の事を考える。
でも今日は、66年前の終戦から、育まれた、
66年前から繋がってる、今、を少し考える事が出来ました。

たまたま机にあった、とうちの書類でしたが、
ありがたい素晴らしいご縁を持って、拝読させていただきました。
ありがとうございました。