2014年8月14日木曜日

0814




修行のハナシ中断。
なんまかっこいいのあったから載せるだけワンタッチ。
ワンタンならニュータッチ

zzzzzz

2014年8月12日火曜日

0811




すべての感情が無にされそうな生活の中で、
すべての感情が爆発しそうなほど膨れ上がり、
感覚が研ぎすまされる。

研ぎすまそうとして研ぎすましてる鋭利な感覚じゃなく、
自然とそうなってるような丸みのある柔らかな角の感覚。


美味しいものはより美味しくて、
嬉しい事はより嬉しいし、悲しい事はもっと悲しい。
可笑しいときはもうどうにもできないほど可笑しく、
腹が立ったときは、腹が煮えくり返る。


角は立ってなくても、
大きいし重く感じる、感情。



つづく

2014年8月10日日曜日

0810


匂いと音。
五感の中で記憶を司る神経らしい。
朝の匂いは慌ただしい記憶。

一日の流れは、
一日を通して時間通りに鳴らされる太鼓の音で知る事ができる。
一年目の者がその役割を担う。少しでも間違えればジ・エンドだ。



前日の記憶を遡るだけで日が暮れる。
線香の匂いだけで応量器一杯のメシが食べられるようになり、
歩きながらにして眠る事ができる。

それは嘘だ。
嘘だけど本当のハナシ。


つづく

2014年8月6日水曜日

0806




目を閉じて一日の終わりのはずなのに、
目を閉じたらすぐ、
またあの忌まわしい朝がやってくる。


朝の行持は静かに怒濤だ。
もう腹が減ってる。
すぐさま次の欲求はやってくる。
腹が減っては戦はできぬなら、腹が減るから修行ができる、ということなのか。


こっそりノートに書く食べたいアレコレを考える時の集中力と言ったら、
坐禅中の集中力の比ではない。
そうやって感じ、得る力は、
人間本来の力を引き出す為の欲求不満の賜物だ。


なんて不確かな事を思うのは、
永平寺での修行生活を終えて四年と数十日の歳月を経てからのハナシだった。


食べても食べてもまだまだ食べ足りない。
食べ足りない分を夢の中で自由に食べる。
食べても食べてもまだまだ食べ足りない。
食べ足りない分を夢の中で只管に食べる。


つづく

2014年8月1日金曜日

0801




ノートには自分のしたい事や食べたいもものを書きなぐり、
完全消灯の22:30ギリギリで布団に滑り込む。


二枚の掛け布団を半分に折ったもの交互に重ね、
紐で3カ所しばりその中に入って眠る。寝袋と同じシステム。


目を閉じたら、枕に意識が吸い込まれていくような感じ。
これはたまらない。病み付きになりそうだ。
いや、病み付きだった。


見る夢は決まって楽しい夢。
マンガみたいに空気がキラキラしててハッピーなやつ。


目を閉じる瞬間が一日の終わりのはずなのに、
実は目を閉じる瞬間が一日の始まりなんじゃないかと勘ぐる。
また長い一日の始まりだ。

つづく

0731




今日運転中僕はふと修行中の事を考えていた。
望み絶たれて読んで字の如く、絶望だったときの記憶。


あの頃は毎日が忌々しく感じた。
修行が終わる日はいつか来るとはわかってはいても、
その時の想像なんてとてもできなかった。

半年くらい経って、ようやく帰ったときの事を想像できるようになった。
頭の中に棲む思考は自由度を広げ、雑念とまた別の雑念を行ったり来たりする。
散々動き回ったその成果は、筋肉みたいに膨れ上がる。これが欲望だ。

夜になると勉強してるフリをして、
帰ったら食べるもの、したい事をノートに書き足した。



変幻自在の脳ミソはお経中の雑念を遮断するために一生懸命だ。


つづく