2015年12月10日木曜日

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坐禅を続けて思った些細な事2





坐禅をしていると、何もせずただ息を吸う事と吐く事だけをするから
生きる上で一番基本の事を綺麗な姿勢でいる時間を過ごすだけで、
坐禅を終えたあと何となく気持ちが清々しい、
と思ったのが坐禅を続けて気づいた事の1でした。多分2011年とか?

『無になる』とかあんまりよくわかんないし、
でもとりあえず思った些細な事でした。


そして、最近は前に比べてだいぶ考え事が浅くなったというか、
まあ結局は考え事をしてしまう事も多々あるんですが、
前ほど、思考にどっしり寄りかかる時間が少なくなりました。

ヴィパッサナー瞑想という瞑想を少しだけ知ったからかもしれません。
時々ボーッとぼんやりと坐れる瞬間があります。
だけどまだまだ足りない僕は、思考が色々動いて、色んな暴走をしてしまうんですね。

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調子いい日とそうでない日があります。
スッと坐れる日もあれば、どうも落ち着かない日もあります。
ただ、一炷(いっちゅう)40分間坐るうち38分くらい落ち着かなくても
最後の2分とかは、何か色んな思考が流れ落ちるというか、
スッと坐れる瞬間が必ず来るような感じが確かにします。
(途中で時計は見てないので、時間に関しては、ざっくりの感覚で言ってます。)


待ってれば必ずその時は来る、みたいな言葉聞いた事あるけど、
ほんとそんな感じです。


だから、
坐禅の何がわかった、とかではないんですが、
全然収穫がないと思っても、ちゃんと最後の2分に旨味がある、というか、
黙って待ってればちゃんと来たるべき時に来るべきものが来る、みたいな気がしました。
何か坐禅とかだけじゃなくて、きっと何でもそうなのかなあとぼんやり思いました。


何となくそう思っただけなんで、無責任な事を言うつもりはありませんが、
今これこのブログをここまで読んでいる人も僕自身も、どうか幸あれ、と思います。

だって、
色々したい事あると待つこととか我慢する事って多い気がするし、
仕事にしても何にしても、これ無駄だよなあとか思う事も結構あるけど、
最後の2分に旨味があると信じてお互い、まあ頑張りましょう!
なんつって!うるさーい!ポーツマス!ポーツマス!にゃーー


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ちなみに
サッカーの世界的プレイヤーだった、アルゼンチンのマラドーナも
歴史に残る数々の伝説のゴールやプレイを残してるんですが、
彼が試合中にボールに触っていたトータルの時間は2分くらいだったそうです。
90分あるうちの2分だかで歴史に残るスタープレイヤーです。
たった2分の旨味がすごい事になってますね!