2010年10月7日木曜日

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今日は千歳にお参りに行ってきた。その時のおはなし。
その檀家さんが経営するアパートには、最近、引っ越すときに仏壇を置いていく人が多い、とのこと。理由は、『必要ない』から。らしい。

その人は、
『仏壇には自分の親だっているのにねー。』
って悲しい顔して言ってた。


僕もそれ聞いて何かちょっとガッカリしたけど、けどけど、それが今の現状なんだ。なー、と思った。
そういうのを、巷では、無宗教っていう呼び方してるけど、僕にはただの無関心にしか思えない。
何か、別に、急に熱心な仏教徒になれ、とかそういうのじゃなくって。
ただ単純に、自分も含めて、今を生きる人は、もっと、自分よりも過去を生きて、今に繋いでくれた、先祖に感謝したいよね。てかすべきだよね。


先祖を尊敬したり大事にできなきゃ、今の自分も尊敬したり大事にできないんじゃねーかな、って思う。そして、そんな人は、きっと、人のことも本当に大事にはできないよね。
今の自分は、自分の先祖の賜物なんだよなー、と、思った。
ナイル川はナイルの賜物。
って、今普通に、何回も三回も賜物って、書いてるけど、たまもの、ってこう書くんだ。よね。
読めるけど書けない漢字、多すぎるるるるる

本当は解決できる悲しいことが、ひとつでも減るように、目を開けます。第三の目を。
あの、天津飯のようにね。


それにつけても、このお方、まさにエンターティナーとはこの人の事だよね。
まじで鬼カッコよすぎる。ゾクゾク来る。クルクル

スーダラ伝説 / 植木 等